マダムNの純文学小説

カテゴリ: 地味な人(純文学小説)

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 子宮口が開いてしまっても、赤ん坊を押し出すほどに陣痛が強くならなかったのは、豊がハンバーガーを食べさせてくれなかったせいかもしれなかった。

 いわゆる微弱陣痛で、一向に強さを増さない単調な陣痛の波に幾度となく晒され、昌美は寒く、眠たく、疲れ果てていた。

「ああ、もうこんな時間。時間がかかりすぎる!」
 と助産婦の免許をもった看護師がつぶやき、分娩台の側を離れた。

 真夜中の分娩室で、昌美は看護師が陣痛促進剤の使用許可を求めて医師に電話する声を聴いた。もう一人、看護師が姿を見せ、分娩の支度にかかる。

 陣痛促進剤の点滴が行われてほどなく、痛みの怒涛が押し寄せると、体の下のほうで何かがぱちんと弾けた。水風船のようにふくらんだ卵膜が破綻したのだった。あっけにとられた出産のクライマックスだった。

 また最初の看護師と二人だけになった冷たい分娩室で、不自然な格好をとらされたまま、看護師が会陰裂傷を縫合し終えるのを待つ時間は永遠かと想われ、そうやって過ごす時間が長くなるほどに、自分と赤ん坊との間に深淵が口を開いていくような錯覚に襲われた。

 裁縫が得意な昌美は、いっそ看護師の手から針をとり上げ、自分で縫ってしまいたいくらいだった。

 黄疸が強いためにちらりと姿を見せて貰っただけだった赤ん坊は、翌日の昼過ぎになってようやく、看護師に抱かれ、病室に戻っていた昌美の元へと連れてこられた。

 彼女は赤ん坊から、脂肪と出来立てのパンの匂いが混じったような匂いを嗅いだ。透明感に彩られた、まどかな顔をしている。肌の色自体は浅黒い。大人びた端正な唇をしっかり結び、髪の生え際に早くも匂うような男の子らしさがあった。

 会社をぬけ出してきた夫と二人で、しげしげと赤ん坊を眺めた。黄疸の治療を続けるために、再び赤ん坊を看護師が連れて行ってしまった。しかし、新生児黄疸はよくあることで、特に心配は要らないという。 

「男の子だったんだから、名前はやっぱりあれにする?」
 と、興奮が冷めやらぬ面持ちで夫が簡易椅子をベッドに近寄せ、顔を突きつけるようにして訊いてくる。

 すると、とっさに昌美は夫を邪険に押しのけてしまっていた。彼女は自分でも驚いて彼を見つめ、口ごもりながら弁解した。

「ごめんなさい。たった今まで……赤ん坊を見ていたせいね。あなたの顔が、怪物じみて大きく見えたの」

 それだけではなかった。赤ん坊の匂いに陶酔したあとでは、夫の煙草臭混じりの息がとりわけ嫌な臭いに感じられたのだった。豊は鼻白んだ。

 昌美は彼よりも同室の隣人を気にし、そちらへ目を走らせた。相当に年がいっているように見える隣人は、遠慮のためか、向こう向きにベッドに腰かけ、帝王切開でうんだという顔の長い小さな女の赤ん坊にお乳を含ませている様子だった。

「名前は、わたしはあれでいいと思う。そうあってほしいな」
 と、昌美はいつもの温和なまなざしになって言った。

 夫婦はあらかじめ、男女一つずつの名前を考えていた。もしも、実際に赤ん坊を見たときに、その場で別の名前がインスピレーションで浮かぶようなら、その名前にしようと話し合ってもいたのだった。

「俺もあれでいいと思うよ。じゃ、決定だな。友人に恵まれ、ゆとりのある人生を送ることができますように――との願いを籠めて――友裕(ともひろ)と」
 豊の言葉に昌美はうなずいた。

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ペンシルバニアのレヴィットタウン
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 今しがた妻が見せた 険のある素振りにわだかまりを残していた夫は、病室を去る直前まで、一人で留守宅を守り職場での戦いに立ち向かっている自分へのねぎらいの言葉を期待していた。

 そのことがわかりすぎるほどわかっていながら、昌美は夫の望む晴れやかなムードを作り出せず、優しい言葉もかけられないまま、そっけなく見送ってしまった。

 出産疲れと産後すぐにやってきた母親としての勤めが重荷に感じられていた彼女は、すっかり娘時代に帰っていたのだった。

 神経に障る股の傷の痛みと元の大きさに戻ろうとする子宮の収縮からくる生理痛のような痛みとが、やり場のない気持ちをわずかにまぎらせはしたものの、彼女は悄然となった。

 我に返り、
「騒がしくして、すみませんでした」
 と声をかけると、隣人は身じろいだ。姿勢が自由にならない様子で、半分だけ振り返った。

 自分の子そっくりの長い顔に黄ばんだ肌色をした隣人は、
「構いませんよ」
 と答え、何か話したそうに間を置いた。そして、しめやかに話しかけてくる。

「ねえ、お母さん。病院で同じようにしてうまれてきたこの子たちは、外に出たら、それぞれの人生を歩むことになるんですよね。赤ちゃんを待ち受けている環境と運命は十人十色でしょうしね」

 昌美ははっとして、そうですね、と言葉を返した。隣人の言葉に潜んでいる冷厳な現実に打たれ、厳粛な気持ちにさせられていた。彼女はベッドを下り、子供が母親を慕うかのように隣人のベッドを訪れた。しばらく、隣人の側で一緒に赤ん坊を見ていた。


 Z…市A地区につくられたような新興住宅地の起源がアメリカに求められることは言うまでもない。一九四七(昭和二十二)年にウィリアム・レヴィットがロングアイランドのジャガイモ畑を整備し、土地と家をセットにして売り出したのがその原型といえた。

 レヴィットタウンをモデルとしてつくられた日本の新興住宅地が、レヴィットタウンのつくり出した生活様式及びその問題点を大なり小なり引き継いでしまうことはありえよう。レヴィットタウンは差別問題をうみ、消費社会の環境に依存するアイデンティティの問題をうんだとされる。

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 郊外に新たに建設された街――いわゆるニュータウン――というのは、内実から言えば、洒落た見かけとは裏腹に、街というよりはいっそ開拓村と呼ぶほうが理に適う。

 商店街と言えるほどのものはない。働きざかりの人々は車や電車で会社へ出かけていく。学生は学校へ、老人は少ない。白昼のニュータウンで見かけるのは、幼い子供を連れた女性くらいだ。

 彼女たちは子供たちを外気に触れさせるため、ネットワーキング――人と人とのつながり――のため、さらにはコミュニティを求めて外へ出てくる。公園に行ってみようと思う。

 自分と同じ育児という課題に生きている人々に気軽に出会える場所といえば、さしあたって公園くらいしか思い浮かばないからだ。

 これが海外、例えばドイツなどでは公的な団体、教会、個人などが主催する育児サークル、シュペールグルッペのようなものも存在しようが、まだ日本では望むべくもない。

 公園のようなところで、我が子を第一義とする母親の利害を背景として自然発生したようなコミュニティはとうしたって生理的雰囲気に支配され、原始的、盲目的な力の論理を帯びてくることになる。母親の観音的側面よりは、いっそ鬼神的側面が公園を覆う。

 街らしい街の公園が多様な年齢層の人々を抱擁しているのに対して、ここでは若い母親といたいけな子供以外は存在せず、公園は閉鎖的な側面を募らせていく。

 とはいえ、公園は広々としてこの季節、美しかった。風は西南から吹いていた。

 すり鉢状になった公園の斜面にはコスモス彼岸花、紫苑が咲き乱れ、花壇にはサルビアマリーゴールドがあった。萩、芙蓉といった低木が花を咲かせ、金木犀が強い芳香を漂わせている。

 砂場、すべり台、ブランコ、シーソーなどの遊具があるあたりには、走り回れるくらいの大きさになった子供たちがいて、一つのグループが形成されている。

 そのなかへ入ってこうかどうしようかと躊躇しているかのような、緊張した背中を見せている女性が、公園の入り口に植えられたサルスベリの木の陰にいるのを昌美は見た。

 長身のすっきりとした後ろ姿で、白いコットンのパンツにミントグリーンが爽やかな太ボーダー柄の七分袖Tシャツを着ていて、白いクローシュ――釣り鐘状の帽子――を被っている。クローシュから痩せた背中にかけて、漆黒の髪の毛が垂直にかかっていた。

 人の気配を感じ、それに敏感に反応して、女性はシャープな身振りを示した。振り返りざま、挑むような視線をたまたまそこにやってきただけの昌美に注ぎかけてきたのだった。

 昌美は軽く息をのみ、ベビーカーのハンドルを握り締めた。

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 クローシュからのぞいている引き締まった顔はまっすぐに昌美のほうに向けられていて、その女性がキャリアで前向きに抱えている赤ん坊がまた、母親とどっこいの手強そうなしかめっ面でこちらを見つめている。

 尤も、赤ん坊のほうは単に光がまぶしいだけなのかもしれなかった。濃い眉、濃い睫毛に小気味よく尖った鼻、傲慢な感じさえ与えるしっかりした顎は母親似だったが、母親がよく日に焼けた肌色をしているのに比べ、赤ん坊はちっとも日に焼けてはいない。

 水色のキャリアの背当てには、雪のように白い天使の羽の飾りがついていた。赤ん坊はグレーに黒い恐竜の柄が洒落た、足元までカバーされたロンパースを着ている。

 一方、女性のほうでも昌美のパッとしない身なりとおとなしそうな顔、やはりパッとしないロンパースを着たベビーカーのなかで眠りこけている赤ん坊……といったものをすばやく捉えた様子だった。

 何かしら勝ち誇ったような色合いが、その猫のもののような輝きを放つ瞳に拡がるのを昌美は見、すっかり驚きながら遠慮がちに会釈をした。

都会的で洗練された外観の女性が、野性味むき出しの露骨な目つきをしたという出来事に昌美は打ちのめされ、田舎者の素朴な驚きを覚えたのだった。

 が、女性の表情は一瞬にして変化を見せ、今度は華やかな、愛想のよい顔つきとなって、昌美に話しかけてくる。

「こんにちは。坊やは気持ちよくおねんねですね。わたし、川野辺皓[こう]子と申します。この子はショウ――晶――。この公園に来たのは今日が初めてなんですけれど、あなたは? あそこで遊んでいるかたたちとはお知り合いでいらっしゃるの?」

 張りのある声で畳みかけるように話しかけられ、昌美はこわごわ答えた。
「わたしも今日たまたま、ここへ来てみただけなんです。久保昌美といいます」

 すると、なーんだというような、人を軽んじるような調子が皓子という女性の表情に浮かんだ。

 昌美はそれを見て見ぬふりをし、
「子供の名はトロヒロ――友裕――です」
と、つけ足した。

 そして、ものやわらかな物腰はそのままに口を閉ざした。早くここを立ち去ろうと思いながら。ところが、事態は思いがけない展開を見せることになるのだった。

 皓子は、昌美が公園で遊んでいる子供たちの親と知り合いではないということに解放感を覚えたらしく、ややだらしなく見えるくらいに唇を開け気味にして微笑した。そうすると、頑丈そうな顎に似合いのしっかりとした見事な歯並びがこぼれた。

「そう、あなたはあの人たちのお仲間とは違うのね。あれを見ると、ちょっとね。あそこで遊んでいる子たちはだいぶ大きいし、お母さんたちもたいそう仲よさそうでしょ。あそこへ入っていくのはまた今度にして、よろしかったら、うちへいらっしゃらない? この公園の近くなんですよ」

 そして、皓子はあのシェルピンクと白を使った分譲マンションの名を告げたのだった。

 昌美はおののき、とっさに皓子の招待に応じるべきか否かを迷うのだったが、
「いいんですか?」
 と問いかけると、顔を赤らめた。

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クライスラー・ビルディング(アール・デコ建築)


 その夜、店内の陳列替えのために遅くになって帰宅した夫とふたりで夜食といっていいような夕食を済ませていると、雨が降り出した。風のせいで不揃いに聴こえる雨音にちょっと耳を傾けてみて、昌美は言った。

「あの分譲マンションね、新しいせいか、ひどく湿気があるんですって。うちは建物が古いせいか、元々欠陥があるせいかは知らないけれど、雨が降ると、押入れの一角が濡れたみたいになることがあるわよね。そこに布団なんて、とても置けないくらいに。さすがに、そんなことは言えなかったな」

 おかずの肉じゃがを肴にキリンの発泡酒を呑んでいた夫は、ふーんと生返事をした。彼は少しだけ贅沢をしたいときには発泡酒*1ではなくてビール「一番搾り」を買ってくるのだったが、この日は倹約の必要があるのか、発泡酒だった。

「お部屋の家具はマンションの外観に合わせてアール・デコ調のものを揃えたんですって。アール・デコという言葉は知っていたけれど、何のことかわからなかったから、辞書で調べてみたわ。アール・デコの原義は『美術装飾』で、一九〇二年から三〇年にフランスを中心として欧米で流行した装飾美術の一様式をいう――とあった。日本が大正から昭和に移る頃のことよ。幾何学形態などに特色を示す――ともあって、そういえば、リビングの食器棚もダイニングのテーブルや椅子も面白くて、優雅な形をしていたのよね。皓子さんは食器棚のことをカップボードと言うの。大学は、あの有名なX…大の英文科を出たんですって。それで、自然にカップボードなんて言いかたが出るんでしょうねえ。ああ、そのカップボードの背板は銀張りよ。食器が映って綺麗で……」

 熱に浮かされたように話し出した妻を、夫の豊はびっくりして眺めていた。何となく不機嫌になって、
アール・デコはフランス語だろ? じゃあカップボードじゃなくて、プラカールとでも言えばいいじゃないか」
 と返した。

 昌美は笑い、
「あなた、大学でフランス語を選択したんだっけ。違う? じゃあ漫画で仕入れた知識なんでしょう。それも違うんですって? ああ、そんな商品名の食器棚があるのね。ちょっと待ってて。食器を流しに持っていったら、最初から話すから」
 と、楽しげに言った。

「フランス語のプラカールくらい、ホームセンターに勤める人間の常識ですよ、常識」
 と言ったあとで、豊は小声で白状した。
「実は、大学の近くにプラカールという名のさびれたスナックがあったんだ。マスターに意味を訊いたことがあったのさ」

 テーブルと流しの間を軽快に三往復して戻ってきた彼女は、公園の入り口での川野辺皓子という女性との出会いと、住まいに招かれたいきさつを語った。子供たちの月齢は近く、皓子の子供のほうが友裕より一月ほど早く生まれただけだということも話した。

 美的なものに感応しやすい昌美は皓子の住まいについて、まるで美術館でも訪ねたかのような話しかたをするのだった。夫と一緒に発泡酒を呑んだわけでもなかったのに、頬がほんのり薔薇色に染まっている。

*1:ビール風アルコール飲料。ビールに比べると低価格。

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「エントランスには応接セットがあって、待ち合わせていたのか、休憩していたのか、セールスマンふうの人がソファにいたわ。その向こうにはカウンターがあって、管理人さんがいるの。ドアはオートロック式になっていてね、あれがどういう仕組みになっているのかを初めて知ったなあ。わたしが皓子さんを訪ねるときにはエントランスでオートロックの鍵の横についているボタンを押すわけ。そうすると、家のなかのインターホーンに通じて、相手が誰かを確認した皓子さんがインターホーンについているボタンを押せば、ドアが開くのよ」

  夫は、妻がこのようなとりとめのない話しかたをするのを初めて聞いた気がして違和感を覚えたが、新しい友人が自分の勤める店からチャイルドシートを購入したがっているという話になると、表情をやわらげた。

 皓子は購入するだけでなく、正しいチャイルドシートのとりつけかたを教わりたいという。実は皓子には憂いがあり、それは商社マンの夫に急にサウジアラビアに転勤命令が下ったことだった。ついては、昌美と家族ぐるみで懇意になれればどんなにありがたいか、と彼女は言うのだった。

 サウジアラビアについて行くことも考えたが、子供とふたりで残ることにし、が、それはとても心細いことだという。それを告げる皓子は、昌美の目に思わずホロリとなるほど、しおらしく映った。

 皓子の夫も心配している――それで、チャイルドシートのつけかたを教えて貰えたら、そのお礼及びお近づきのしるしに久保一家を夕食に招待したいのだという。

 思いがけない話の流れに、夫も興奮し出した。

 自ら選択した職業とはいえ、就職を境に――否、大学入学を境にというべきかもしれない――、これまで意識せずにぬくぬくと生きてきた社会のなかのある階層から蹴落とされたのを豊ははっきりと感じていた。

 それが、両親の庇護から離れて巣立つということなのだろう。蹴落とされて押し込まれたそこは、これまでいたところより明らかに見劣りがするものだった。

 そのことをはっきりと思い知らされたのは、健康保険証(被保険者証)を手にしたときだった。父親とは同じ転勤族になったが、父親がまだ健在だったころに見慣れていた保険証とは色も種類も違っていたのだ。

 保険証に、社会の階層が映し出されていたとは!  保険証にはランク分けがあって、さまざまなことが読みとれるようになっている。

 例えば、大手企業で働いている人とその扶養家族が加入するのは組合管掌健康保険(保険者は健康保険組合)、中小企業で働いている人とその扶養家族が加入するのは政府管掌健康保険全国健康保険協会――協会けんぽ――)になる。

 もっと勉強してよい大学に入り、給料も福利厚生もよい一流企業に入ればよかった……と思っても、もう遅かった。だとすれば、逆の人間もいるということだ。就職を境に、それまでよりランクアップした階層に入る人間が。

 また、妻の知り合った女性の夫が商社勤めだからといって、その夫が一流企業のサラリーマンとは限らない。商社にもピンからキリまであるのだ。しかし、おそらくはその夫――川野辺氏は父親と同じ保険証を手にしているのだろうと豊は思った。

 一流企業のなかの嫌らしいピラミッド構造のなかで父親が疲弊していくのを子供のころから感じていた豊はそんな父親を見るのが嫌で、中学時代は不良グループに入って遊べるだけ遊んだ。不良グループといっても、学校や家庭が性に合わないため、サボって無難な遊びをしていた連中にすぎなかった。

 そうした行為の当然の結果として、名のある大学とは縁のない大学受験となったが、それは父親の生きかた――父親が選択した企業というべきか――に対する反発心が招いた豊自身の選択だったともいえた。

 とっくに鬼籍に入っている父親が、草葉の陰で豊の歩く道を祝福してくれているのか、嘆いているのか、彼には知るすべもない。中小企業に就職して後悔に襲われる一方では、戦国時代のような流通業界の有様にゲーム感覚が刺激されていた。

 地方勤務からサウジアラビアに転勤になると聞くと、商社のなかではエリートからは脱落した組だろうな、と豊は憶測した。

 農家とはいっても、妻の昌美が生まれた家は旧家で、太平洋戦争で没落していなければ、お嬢様だろう。豊は昌美が意識せずに身につけている奥ゆかしい雰囲気に惹かれた。中小企業のサラリーマンの妻としてはそうした部分がむしろマイナスに働くに違いないとわかっていながら、彼はプロポーズしてしまったのだった。

 妻の開拓した人間関係が、もし蹴落とされた階層へと通じる裏道になるのだとしたら面白い、と豊は興奮したのだった。それがとんでもない獣道だということを、そのときの豊には知るよしもなかった。

「それはいいけれど……」
 と、川野辺夫妻の招待を受ける意向を豊は匂わせると、普段着のジャケットに五日ほど入れっぱなしにしていたパチンコの景品のアーモンドチョコをとりに立った。

 戻ってきながら、
「それはいいけれど、実はそれとは別の話があるんだ。アメリカに行っていいかな?」

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 虚をつかれた昌美は一瞬、夫がアメリカに転勤になってしまうのかと思ってしまった。すぐに、そんなはずがないと思い直した。

「視察旅行に行きたいんだ。ロサンゼルス、ダラス、アトランタを回る予定になっている。三月くらい先になると思う。同僚の多くが既に行ったんだよ。俺も行かなくちゃ。今の会社でこれからもやっていこうと思うなら、向こうのホームセンターを見ておくことは絶対に必要なんだ。昌美。行ってもいい?」

 最後のほうはあまい囁きとなった夫の声に、昌美はむしろ酔いから覚めた人のようになって、いくらか冷ややかに口を開いた。

「それは、そうよね。日本のチェーン・ストアがアメリカのそれに右へ倣えだってことくらいは、わたしにだってわかっているわ。あなたは、行かなくちゃ。それでなくとも、アメリカが大好きなんだし、行かせてあげたくないわけがない。でも、うちは今お金が……ただで行けるわけではないんでしょう、会社から出るぶんがあるにしても」

 妻の懸念を心得ているらしい夫は、アーモンドチョコを妻にすすめた。そして、昌美がチョコレートの銀紙をむくのに合わせるように、できるだけ穏やかに説得の言葉を並べた。
「小遣いを減らしてくれて構わないよ。それ以外にも倹約をする、約束するから」

 昌美はその言葉に安心したらしく、彼をちらと見、優しくうなずいてみせた。豊は妻の許可を得て、嬉しそうに息を大きく吸い込むと、目を輝かせた。

渥美俊一という日本のチェーン・ストアの理論的指導者がいてね。彼は一九六二年にチェーン・ストア経営研究団体ペガサスクラブを設立した。設立当初のペガサスクラブの主なメンバーは、ダイエー中内功、イトーヨーカ堂伊藤雅俊ジャスコ岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニー西川俊男イズミヤの和田満治などで、錚錚たる顔ぶれだよ。渥美はアメリカの本格的なチェーン・ストア経営システムを日本に紹介し、流通革命・流通近代化の理論的指導者となったんだ。彼は経済民主主義を唱え、流通業の役割とは経済民主主義を達成することだと言った*1

「え、ケイザイ何ですって?」
「ケイザイミンシュシュギ。富める者も貧しい者もほしいものは手に入る社会を築こう、という精神のことをいうのさ。国民のすべてがほしいものは手に入る社会を、という意味。それには物価を下げればいいという理論なんだよ。どう、なるほどと思わせる考えかただろう? この俺は、会社の連中と共に経済民主主義を具現しようとがんばっているわけさ」

 昌美は夫の言葉に感心するどころか、変な顔になった。そんな思わしくない妻の反応に、豊はさらに雄弁になるのだった。

「実は、この理論は、ドイツ・ワイマール期の社会民主党労働組合運動の理論でね。フリッツ・ナフタリが一九二八年に『経済民主主義』と題してまとめたものなんだ*2。ところで、マス・マーチャンダイジングという流通業界の用語があるんだけれど、これが経済民主主義を達成するための手段となるものだ。うちの社長がむやみに店舗を増やし続けているように見えるのも、マス・マーチャンダイジングなのであって、標準化された店舗を200以上に増やすことでマスの特別なごりやく(経済的効果)が出るとされているからなのさ」

 しばらく微妙な表情で黙っていた昌美は、考え考え言った。

「きっと、本当は複雑な内容をもつ理論なんでしょうけれど、そう簡単に言われてしまうと、何にも言えなくなるわ。わたしは経済のことも商業のことも、何もわからないんだもの。ただ、その理論が物質主義をもとにしているということだけは、わたしにもわかる。ねえ、アメリカは貧富の差が激しいんでしょう? お金による階級が厳然として存在しているということも、聞くわ。商業の領域のことは、わたしたちの生活にじかに影響してくるんじゃない? アメリカがうんだシステム――相当に昔のドイツの労働組合の理論もそうだけれど――無批判に受け容れていいのかな、と思ってしまう。そのあたりのところもよく見てきて、わたしに教えてね」

 夫は、自分の妻はなかなかの学者だと微笑ましく思ったようだった。その一方、少し頭の弱い人間ほど、このように丹念で生真面目な考え方をするものだと思ったようでもあった。

 彼は陽気に言う。
「何でも見てきてあげるよ。そして、土産にはビーフジャーキーを買ってこようか? むこうには、こちらのちんけなのとは違って、肉の厚い、一袋にたっぷりと入っているやつが安くてあるらしいんだ。そいつを肴に、昌美も一緒に『一番搾り』をのもうよ」

 根はどちらも楽天的な夫婦は、その言葉ですっかり盛りあがってしまって、アーモンドチョコをきっかり半分ずつ食べた。それから、仲良く手をとり合い、寝に行ったのだった。 

*1:ウィキペディアの執筆者. “渥美俊一”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E4%BF%8A%E4%B8%80&oldid=61114514, (参照 2016-09-11).

*2:「フリッツ・ナフタリの『経済民主主義』(1928年)は,ドイツ・ワイマル期の社会民主党労働組合運動の理論と経験の中から生まれた。その後,ナチズムの時代には歴史の舞台から抹消されたかに見えたが,しかし第2次大戦後には,当初,旧西ドイツのモンタン産業において成立した被用者の同権的共同決定制度が,いまやドイツ資本主義の発展とともに労働者の経営参加及び超経営的参加として企業のなかに定着するとともに,ナフタリの『経済民主主義』は,労働者の同権的参加思想の源流と見なされ,この分野における「古典」(オットー・ブレンナー)としての評価が与えられてきた」(山田高生「カール・レギーンと経済民主主義の生成」成城大學經濟研究 159, 133-146, 2003-01-20 < http://ci.nii.ac.jp/naid/110004028031 > 2016/11/12アクセス)


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 五日後、川野辺家に招かれた久保夫妻は酔っ払って自宅に戻ってきた。

 いとまを告げる前から泣き出していた友裕は、疲れと興奮のためにいつまでも泣きやまない。その声は、贅沢な空間を抱いた快適なピンクの分譲マンションからすれば、物置かと思えるような古い狭いマンションの一室に大きく響きわたるのだった。

 離乳のすすんでいないせいで、まだ果物のような匂いのする友裕の口のはたに昌美は酒臭いキッスをした。何かものわびしく、もの哀しかった。夫の豊は、風呂に入ると言いながら、毛布を引っ張り出して寝てしまっていた。

 泣きやんだ友裕を昌美は下ろそうとして、子供の布団に侵入してきている夫の酒気をおびて掌が赤らんだ大きな重い腕を、子供を抱えていないほうの手で持ちあげ、力を振り絞って向こうへ放った。

 あの嫌味な夫婦に単純に追従した夫の腕を、世界の果てまでも放ってしまいたかった。すると夫は「ん」と言って寝返りを打ち、うまい具合に向こうへ転がった。この頃にはベビーベッドは片づけ、一家は川の字になって寝ていたのだった。

 昌美がキッチンへ行きかけたとき、またもや夫が、今度は体ごと子供の布団に転がってくるのを見た。やわらかな友裕の体に彼の手がのっかる。彼女はあたかも歩兵であるかのようにすばやく駆け寄ると、その手を息子から払いのけ、ため息を一つ残してキッチンへ行った。

 昌美はタッパーウェアを洗い始めた。ポリエチレン製の容器に染みついた食物の匂いを洗い落しておきたかった。それにしても――と、彼女は思う。この中身は結局のところ、捨てられてしまったに違いない。

 昌美はこれまで、体育の授業で創作ダンスを踊っているときのフォームの美しさや球技のときの敏捷さを褒められたことがあった以外は、もっぱら料理の腕を褒められた。母から、友人から、夫の同僚からも。

 昌美が料理をすると、食材が生き返るようだった。それは彼女が野菜の形や色に感嘆したり、魚や家畜たちの無念さを感じたりすることと無関係ではなかった。盛りつけも、見るからに清潔そうで綺麗だった。

 今は洗いあがったタッパーウェアだったが、昌美は時計の針が午後七時十五分を指すのに合わせて筑前煮を詰めたのだった。酒の肴になるだろうと思いこしらえたのだったが、どんなに美しく詰めたつもりでも、手料理が他人の目に不味く不潔に見えたところで不思議ではない。

 嫌がられる可能性も考え、彼女は昼間友裕を連れてバスに乗り、花と果物を買ってきた。夫には、キリンの一番搾りを買てきてくれるように頼んだ。それらの手土産と共に、一家は約束した午後七時三十分にピンクのマンションのエントランスに立っていた。

 上にあがって挨拶だけ交わし、夫は車に載せてきた注文されたチャイルドシートの取りつけかたを皓子に教えるために、彼女と連れ立って下へ降りて行った。皓子に案内されたリビングのドアに近いところに、昌美は身の置きどころのない思いで、友裕を抱いたまま立っていた。

 皓子の夫、川野辺秀治は客の存在など気にかけていないかのようで、リビングに置かれたキャメルのレザーソファに半ば寝そべるように座り、テレビを観ながら何かアルコールを飲んでいた。チューリップのように縁がすぼまった、脚つきのグラスを手にしているところを見ると、ワインだろうか。

 秀治はのんびりと声をかけてきた。
「お子さんを、そこへ下ろしたら?」

 ソファとテレビのあいだの広い床に、このあいだ来たときはなかった、モスグリーンのラグが敷かれている。

「ええ。でも、何だか汚してしまいそう……」
「構いませんよ。たった今まで、そこで晶のやつが遊んでいたんですから」

 それは、ラグに置かれた二つの玩具を見ればわかった。一目見ただけで、それらが遠いところから直に運ばれて来た商品だとわかる。正式な一員と認められた、歴とした川野辺家の玩具なのだ。

 あとで聞かされたところでは、いずれも皓子の母親がパリから買ってきたものだという。一つは、頭と四つの輪にした胴体のパーツでできたミツバチのマスコットだった。もう一つは「ノアの箱舟」という玩具で、ぬいぐるみのノア夫婦と動物たちが箱舟の形をしたバッグとセットになっていた。

 昌美は恐る恐るラグに友裕を下ろしてみた。秀治とでは、言葉が続かない。しかし、二人のあいだでそのことを気にしているのは昌美一人のようだった。


 秀治には、妻の皓子に似た鋭さ――油断のなさ、いや、ぬけ目のなさといったほうがいいかもしれない――があり、他人を見るときの目に、どこか相手を嘲笑うような色合いがあった。それが、昌美をくつろいだ気分から遠ざけるのだった。

 育ちのよい人たちにはあまり見えない彼らには、地方から都会に移植された人間に特有の人工臭があって、都会人とはこういう種類の人々をいうのだろうか、と昌美はぼんやり考えていた。

 尤も、容貌だけとってみれば、秀治にはむしろ温和さに結びつくような特徴のほうが勝っていた。色白で、ふっくらとした顎に、ぽってりとした紅い唇。眉は夫婦揃って濃い。そろそろ中年太りの始まった体は頑丈そうで、何かスポーツをやっていそうだった。まるい目に似合わない鋭い眼光。頭のよい人々というのは、このような目をしているものなのだろうか。

「あの、晶くんは」
「ああ、眠っているんですよ」

 また会話が途切れた。

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 昌美が必死で息子と遊んでいるふりをしていると、秀治が言う。
「何か肴がほしいな」

 昌美は一瞬、我が耳を疑い、
「肴……ですか?」
 と鸚鵡返しにつぶやいた。かってのわからない他人の家で、しかも、そこの家の主人にこんなことを言い出されて、彼女は困惑した。

「筑前煮がありますけれど」
 と言うと、今度は相手のほうが自分の耳を疑った様子だった。

「えっ? チクゼン、に?」
「そうです、チクゼンニですわ」
 と我知らず慣れない言葉遣いになり、昌美はあてずっぽうにキッチンのあるらしいほうへ行こうとした。うつ伏せになったおなかで体を支え、両手を広げて、ご機嫌で飛行機ブンブンをしている友裕をちらと確認する。

 リビングからダイニングへぬけ、そこからキッチンらしきところに回り込んだ彼女は、そこに突っ立って呆然となってしまった。確かにそこはキッチンで、間違いはなかったが、整然と片付いて、いやまるで、ここで料理されたことは一度もないみたいだった。システムキッチンのディスプレーを見るようだった。

 これもあとでわかったことだったが、実際、皓子はここで大した料理はしないのだった。

 夫の秀治はほぼ毎日接待で取引先と飲みに行かなければならず、家で夕食をとることがほとんどなかった。休日には車で外食に出るか、買うか、とるかしたし、普段の自分のぶんは彼女の母親が「到来物だけれど」とか、「百貨店の物産展に出かけたので」とか言って送ってくるもので結構間に合った。そうしたものに手を加える程度の料理しかせずに済む。

 皓子の実家は贈り物が途絶えることがなく、また百貨店の外商部の人間が規則的に――上顧客の御用聞きに――出入りするような家だった。そろそろ本格的になってきた晶の離乳食とて、今のところはまだ市販品に頼ることが多かった。

 あまりに片付いたキッチンを見、訳がわからない思いで昌美は持参したタッパーウェアを探した。冷蔵庫を勝手に開けるわけには……と思いながら、ふとキッチン内の背面収納に付けられたカウンタースペースを見ると、そこにあった。

 タッパーウェアを包んだビニール風呂敷の結び目を解こうとしているとき、皓子たちが戻ってきたらしい物音がし、声が聴こえた。うろたえているところへ、皓子に訴える秀治の甘えたような声がする。

「皓子ぉ。生牡蠣のレモンがけが食べたい。シャブリにはあれがないと、つまらんよ。早く持ってきてくれ。ブリア・サヴァランもあっただろ、そいつもな」

 昌美は真っ赤になった。すると、また秀治の声がした。盗み聞きしていたいわけではなかったが、彼女はキッチンから動けなかった。

「今夜は勝手なことを申しまして、どうも。久保さんは、ワインはいけるの? そう、いけるんですか。それはよかった。ワインには、わたし、久しく凝っていましてね。必然的にチーズにもね」

 夫に流暢に話しかける秀治の変わり身の早さに、昌美は驚いた。公園の入り口で同じような驚きを覚えたことを彼女は思い出した。秀治にとって、自分は物の数ではない人間なのだろうか――そうとしか、昌美には考えられなかった。夫は……豊は、車のことで何かお愛想を言っている。

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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 勇気を出して昌美がリビングに戻っていくと、秀治があの素敵なアール・デコ調のカップボードから「このグラスはシャブリ・ワインの美点をよく引き出してくれるんです。オーストリアのリーデル社製でね。リーデルはワイングラスの名門ブランドです」と言いながら、グラスを夫に渡しているところだった。

「シャブリって、フランスワインでしたっけ?」
「ええ、ブルゴーニュワインです。ブルゴーニュ地方のシャブリ村で造られます」
「白ワインなんですね?」
「辛口白ワインの代名詞ですよ。シャルドネという白ワイン用のブドウ品種から作られます。緑色の葡萄です。最初にシャルドネ種を植えたのは、何とかって修道院です。シャルドネは牡蠣などの化石を含む石灰岩質の土壌で育つためか、このワインには牡蠣がよく合いましてね」
「へえー、シャブリ村って、大昔は海の底だったんだ」

 秀治の話にすっかり心酔したような表情の夫が、ふと昌美を見た。一瞬、不思議そうな顔をした彼はいつも以上に地味に見える妻を穴の空くほど凝視し、次の瞬間には目を反らした。

 母親の顔を見て鼻の下を伸ばし、べそをかきかけた友裕に皓子が昌美より先に近づくと、身をかがめ、抱きあげた。二人の男性のせいで穏やかでない昌美の心情を察したかのような、隙のない行動だった。

 皓子は、赤ん坊を抱いた一方の手を離し、前のほうへ流れた漆黒の髪を肩の後ろへ掻きあげると、あでやかに言うのだった。
「ああら、友くんって可愛いんだ、とっても。おめめ開けているところは、初めて見るものね。そのおめめはぱっちりとしているし、顔の感じが欧米人の子みたい。驚いちゃった」

 昌美は皓子に近寄り、几帳面に礼を言って子供を受けとった。快活な皓子に夫の豊は好意に満ちた微笑を――自分自身をアピールするように――投げかける。早くも夫は酔っているかのように見えた。そして、如才ない夫は早くもあちら側の人間だった。

 そうだった。彼らは早くも仲間なのだった。

 夫か唐突に『ボルドー美術館展』に出かけたときのことを話し出した。

 あのときは、昌美が誘い、夫は野球観戦を主張したのだった。結局、同じ日にどちらにも行ったのだったが、絵画がことさら趣味というわけでもない夫がひどく気に入った絵があった。

 ポール=フランソワ・カンザックという画家の「青春の泉」という絵だった。どんな絵だったか細かなところまでは覚えていないが、背中まである銀色がかった金髪が美しい、若々しい女性の裸体が描かれていたように思う。

 予感したように、夫はその絵のことを話し始めた。彼は女性の裸体のことは言わず、もっぱら自分が知らなかった画家の大作に驚かされた話をしただけだったが、昌美はなぜ夫がそんなことを言い出したのかがわかった。

 彼はさっきの髪を掻きあげる皓子の仕草を見て、あの絵を思い出し、思い出すことで一層募った興奮を胸の内にとどめておくことができなくなったのだろう。しかしながら、絵の具体的な内容まで言ってしまえば、彼が皓子に好感を抱いてしまったことまでばれてしまう。

 そのことを恐れたために、当たり障りのない話にとどめたのに違いない。そうした配慮は川野辺夫妻に対するもので、妻に対するものではなかった。昌美のことなど、夫は忘れてしまっていたのだった。

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