マダムNの純文学小説

カテゴリ: 地味な人(純文学小説)

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現在、純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」の連載を予定しています。

児童小説や歴史小説の連載も考えています。

実は、前掲の三作は古い作品で、ワープロで清書していました。パソコンでフロッピーが開けなくなったこともあって、Kindle ダイレクト・パブリッシングで電子出版したいと考えています。

しかし、まずはパソコンで作品を打ち込むことから始める必要が出てきました。平成12年(2000)5月に脱稿した「地味な人」から打ち込むことにしました。

「地味な人」は感熱紙の原稿しかなく、印字が薄くなってしまっています。感熱紙原稿のコピーをとるか、パソコンで清書するかで迷い、再校正しながら清書することにしたのでした。

清書の作業と並行してブログで作品を公開して読んでいただこうと思い、2010年4月26日にそうしかけたところで、中断してしまっています(記事は下書きとなっていました)。ダークなテーマであるため、自分の小説でありながら、扱うのが億劫だったのでした。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。

ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。

つまり、16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものなのです。

こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。当時は、ママカーストという言葉だけでなく、ママ友という言葉もありませんでした。

小説を連載しながら改めて、ママカーストの実態をリサーチしたいと考えています。物質主義社会のなれの果てといってよい現象なのか、反日勢力の工作が絡んだ現象なのか……

わたしのママ友関係には、幸いママカーストに当たるような出来事は起きませんでした。

同じアパートで、夫が流通業に勤務する似た経済状態にある女性たちが子供を介して交際していました。個人的に合う合わないといった自然な感情は当然存在しましたが、それだけでした。遠く離れても、当時がなつかしく、葉書のやりとりがあります。

そうした意味では幸福な子育てでした。ところが、落とし穴はあるもので、別の場所でそうした体験をしました。だから、小説が書けたのです。

現在、歴史小説のモデルにしている萬子媛は江戸時代に生まれた方ですが、彼女の小伝を書いた義理の息子が「大師ハ華冑ニ生ルルモ、富貴ノ籠絡スル所トナラズ、志ヲ斯ノ道ニ鉄ス」と書いたように、高貴な生まれでありながら(後陽成天皇の曾孫女で、左大臣・花山院定好公の娘)、そのことに絡めとられることなく、求道者としての道を貫き、衆生救済を祈念して入定されました。

日本は、過去にこのような人物を生んだ国でありながら、何て情けない国になってしまったことでしょう。

ママカーストなんてやっている人間は、畜生以下でしょう。日本人なら、恥を知るべきです。自らの行いはすべて自分に返ってくる――仏教を通して古来、日本人にはそうした認識がありました。

他の執筆作業の合間に行うことになるので、遅々として進まないでしょうし、また中断するかもしれませんが、とりあえず始めます。

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あらすじ

主人公の久保昌美は、子育て中の葛藤から一人のママ友に殺意を抱くほどの憎しみを覚えてしまいます。その憎しみがママ友の子供に向けられるようになるまでの心理的推移を、環境や人間関係を背景に描いていきます。


まえがき

日本社会を震撼させた音羽お受験殺人事件(1999年11月22日)に着想を得、2000年5月に脱稿した作品ですが、事件を再現しようとしたわけではありません。

子育て中に底なし沼……にはまってしまう女性もいるに違いないと思われたので、その底なし沼を何とか表現したいと考えました。

2005年になって、たまたま事件現場の近くを訪ねたので、現場に隣接する寺に行ってみました。日中でしたが、寺に面した通りは人通りが少なく、静かでした。娘が受験して途中で落ちた大手出版社が同じ通りにありました。

ワープロで感熱紙にプリントアウトした作品の保存状態が悪く、このままでは読めなくなりそうでしたので、改めて校正しつつ連載形式で公開していく予定です。

織田作之助賞」で三次落ちした、原稿用紙100枚程度の小説です。

主な登場人物

久保昌美……主婦。主人公。
久保豊……昌美の夫。ホームセンター勤務。
久保友裕……久保夫妻の子。
川野辺皓子……昌美のママ友。夫は商社勤務。

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 倉庫のような外観の建物から、子連れの夫婦が出てくる。男の子が胸に押しつけるようにしてもっている箱の中身は、レゴのブロックだった。

 初めてこのトイザらスという名の玩具のディスカウント・ストア――安売り店――に足を運んだとき、妻は、品数が異常なまでに豊富な、そしてまた、商品の提供という目的以外の事柄は全て削ぎ落としたかのような店内の様子を一瞥し、呆然となった。

 彼女は広い通路をうろうろして、いつしか棚のうえに積み重ねられた箱の一つに見入ってしまっていた。アメリカ人の姿を安っぽく模ったような変にリアルな人形を見、戦慄すると共にある激しい違和感と抵抗感を覚えたのだった。

 それまでの彼女の知る玩具屋が、少女時代を過ごした町中の主立ったそこへ行けば奥のほうに、精巧に丹念に製作された日本人形やフランス人形、陶器でできた人形、ガラス細工の動物、オルゴールなどをひそめていて、そこに芸術的工芸的な、豊潤な空間を開示してくれていたことに突然に気づかされないわけにはいかない。

 そこで密に息づいているものたちを買わなくとも構わない、いや、買えばむしろ、玩具屋の親仁さんは奇妙な顔をしかねない。親仁さんは、この奥の院に祀ったものたちで儲けようとは端から思っていないからだ。

 が、ここには庶民が買えそうな大量生産された玩具しか置かれていない。ここには奥の院なんてない、屋台の並ぶだだっ広い境内だけしかない。同じ玩具屋とはいえ、この二つの玩具屋をささえる意識には何という違いがあることだろう。が、何度かここにくるうち、そんなことは忘れてしまっていた。

 あ、ドーナツ。

 と子供が、初冬の日だまりに立ちどまって言った。毛先の軽い、赤みがかった髪の毛が風にふわふわと舞う。

 夫は、駐車場の真ん中あたりにとめてある愛車のミニカのほうへ体を向けたまま、ちょっとうるさそうな仕草で耳の後ろを掻き、それでもつくり笑いを浮かべてみせた。

 お、ドーナツか。それも、いいな、たまには。あそこへ入るか?

 それを聞いて嬉しそうにしたのは、むしろ妻のほうだった。

 うんうん、そうしよ! 前にきたときに貰った割引券がお財布にあるんだけれど、あれ、まだ使えるかしら。

 これで彼女は、食事の支度を1回パスすることができるのだった。料理が嫌いでなくても、途切れなく毎日では気が滅入る。夫は家事を主婦の習性とでも思っているようだったが、もはや彼女はそれほど古いタイプの女ではなかった。

 食事の支度を1回パスできるという、ささやかでありながら、このうえない贅沢な喜びにほのかに輝いた彼女の顔をちらりと見た夫の顔が、皮肉な――いや、むしろ酷薄な――表情を浮かべるのを妻は見逃しはしない。

それでも、今は突っかかりたい気持ちなどぐっと堪えるのだ。あまい匂いのするドーナツのいろいろ――ハニーチュロ、ココナツ、フレンチクルーラーブルーベリーマフィン、チョコファッション――を想い浮かべて。

 こうして、どこででも見かけるような、傍目には幸福そのものに見える親子はドーナツ店に消えた……

 この郊外ショッピング・センターの敷地内には、他にファースト・フード店、アイスクリーム店、雑貨店、書店、カー・ショップ、それに家電専門店があった。

 一年後の昼下がりにも、玩具のディスカウント・ストアから子連れの夫婦が出てきて、ドーナツ店へ入っていく。折りしも、ドーナツ店の向かいにある家電専門店の一角に置かれていた液晶テレビが、お昼のワイドショーを映し出していた。

 幼児殺害のかどで逮捕された女性容疑者の知人たちに、女性リポーターがマイクを向けていく。彼らのコメントは、買い物客たちの注意を惹かない。

 容疑者がどんな人であったかと訊かれ、彼らは異口同音に答えた。
「地味な人でしたね。目立たなくて、どこにでもいそうな人でしたよ」
 と――。

 

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 ホームセンター勤務の夫に人事異動の内示があり、彼がZ…市A…地区への転居の必要を妻の昌美に説いたとき、彼女は妊娠中の身で、どうにか悪阻の時期をやり過ごしたところだった。

 こんなときの引っ越しなど考えたくもないくらいだったが、煙草の吸いすぎからか色の悪い夫の唇の間からZ…市という転勤先の名がつぶやかれると、彼女は素直に喜んだ。

 久保夫妻が新婚時代を過ごしてきた福岡市近郊の農村だったと思しきこの地は、およそ街と呼べるだけの纏まりを形成してはいず、住むには半端な、何の美観も望めない、高度を上げるか下げるかして頭上を通り過ぎる飛行機の音がやたらと喧しい、目下、交通の要衝としての役割を果たしているだけといった土地柄だった。

 国道を挟んで田畑がまばらに残っており、工場などがあった。道路の片側沿いに銀行、個人経営のコンビニ、クリーニング店、パン屋、八百屋が、反対側に精肉店、米屋、小さな食品スーパー、内科医院があった。郵便局はずっと離れた場所にあって、産婦人科となると、影も形も見えなかった。

 他人に訊いて見つかった産婦人科医院はもっぱら堕胎専門で水子霊がひしめいているという噂だったため、昌美は自宅のある郡部から博多駅にほど近い公立病院を目指して半時間、バスに揺られることとなった。

 久保夫妻の住居は、一つの長屋を四つに切り分けて並べたような貧弱なつくりで、奥に位置する彼らの小さな家は崖下にあり、崖の上にはお寺があった。西日しか射し込まず、梅雨時になるとムカデが出た。

 雨で家の中が湿気ると、汲みとり式の便所の臭気が甚だしく、そんなとき、昌美は何とはなしに泣きたくなるのだった。マンションが彼女のあこがれの住まいといえた。

 この地に開発の手が伸びるのは時間の問題と思われたが、そうなれば、ここはさらに人間が住みづらい地になるのかもしれず、春にはうまれてくる子供が小学生になれば、交通量の凄まじい道路を横断して――田圃の中にある――小学校に通うことになるのはほぼ確実だった。

 その頃にはせめて歩道橋ができていればいいけれど、と昌美は消極的な、それゆえにせつない望みを抱かずにいられなかった。

 こうしたことを総合して考えてみると、この地に執着すべきことは何もなかった。妊娠下での移転という肉体的な不安要因はあるにしても、新しい環境への期待が芽ぐむ。

 だから、福岡市のベッドタウンとしてひらけたZ…市が近年、大学を中心とした学園都市としての風格を見せ始め、教育施設の整ったそこへわざわざ引っ越してくる人々も多いと夫に聞かされたときには、昌美の期待感は一気に膨らんで、ぱちんと弾けそうになった。

 マンション住まいと並ぶ彼女のもう一つのあこがれは良質の大学教育で、うまれてくる子供にそれを受けさせられれば、もう言うことはないと思う。彼女は短大出身だったし、夫の豊は名もない大学の出身だった。自分自身に対する偏見かもしれなかったが、彼女には自分が三流の人間に思えた。

 博多駅まで快速列車で二十分というのだから、ますます悪くない話だった。

「あそこは綺麗な街だよ、少なくともここよりはね」
 と、夫は言う。

「今度、Z…市のはずれにトイザらスという名のアメリカの玩具屋ができるよ。玩具のディスカウント・ストアなんだけど、正確に言うとね、日本にアメリカのハンバーガーをもってきたことで有名な実業家、藤田田(ふじた でん)がハンバーガーのときと同じやりかたでアメリカの玩具専門チェーン、トイザらスと合弁契約を結び、平成元年に日本トイザらスを設立したんだ。Z…市にできるのは、それのチェーン店の一つというわけ。ユダヤ商法を身につけた藤田の戦略は、通産省の大型店舗規制の意向を翻させたと言われているよ。彼は、日本人をハンバーガーで金髪に改造するってさ」

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 一心に夫の話に耳を傾けていた昌美は、日本人をハンバーガーで金髪に――のくだりで、ぞっとさせられた。

「じゃあ、玩具でもっと根本的に、日本人の子供たちの心のなかから改造するつもりなんじゃないの? どうして、日本人をアメリカ人にしてしまいたがるのかしら。その実業家は日本人なんでしょう? そんなことが何気ない消費という次元から進行しているなんて、怖いわ」

 夫は、耳をそばだてる気配を示して、言った。
「昌美が言うと、オカルトじみるよな」

 次いで、失笑しながら妻に講義してみせるのだった。
藤田田アプレゲールと呼ばれた、大正うまれの人間でね。アプレゲールというのは、戦後派を意味するフランス語らしいよ。対義語はアヴァンゲールさ。第二次大戦で古来の価値観が崩壊した後の日本に無軌道な若者たちが出現して、彼らによる犯罪が多発した。それがアプレゲール犯罪と呼ばれたんだ。伝統的な価値観や因習に囚われないアプレの中に、極端なアメリカかぶれがいたとしても、別に不思議ではないのさ。戦後の混乱期を経て、これだけの巨大な産業を興すには、一般的な感覚の持ち主にはできないことだろうよ。昌美だって、ハンバーガーが好きなくせに」

 東京オリンピックが開催された年に生まれた夫はアメリカが好きだ。マッチョなヒーローが出てくる映画がお気に入りだった。

「アプレの彼が口火を切ってくれたディスカウント・ストアの出店競争がこちらにも引火してきたらしく、トイザらスの近くに、嫌なことにはディスカウント型のホームセンターもできるんだよな。そいつはうちの店のよい対抗店になってくれるだろうよ。本音を言えば、九州が本拠地の、サービスを売り物にする従来型ホームセンターのこちとらは、パニックさ。うちはアプレの中では、伝統を守ろうとするアヴァン派ということになるな」

 妻は、彼女なりの解釈の仕方をして、口を挟んだ。そうすることで、夫の仕事に理解があることを示したかったのだった。
「アプレの中での、急進派と保守派の殴り合いということになるのね?」

 すると、夫は瞳を輝かせた。
「殴り合いだって? いや、戦争だよ。いよいよ本格的な戦国時代の到来というわけだ。社長は今年中に十店増やして、百店舗にする計画らしい。いいかい、潰すか、潰されるかなんだ、それに」
 と、彼はつけ足した。

「主任から店長代理に昇格するのはいいけれど、これで一応管理職ということになるから、これからはいくら長時間働いたところで、時間外手当はつかないってことを言っておかなくちゃ。おまけに、中小企業の哀しさで、代理になったところで、それに対する手当ときたら、スズメの涙だものなあ。手どりにして、給料は三万円くらい減ると思う」

 玩具のディスカウント・ストアの話と給料のことは新生活への期待に水を差すものだったので、昌美は膨らみかけたおなかに右手を当て、じっと考えるふうにした。

 それから、マッシュルームカットにした毛先の軽い頭髪を揺らして顔を上げると、切れ長の目でほのぼのと夫の豊を見つめ、囁いた。
「今度は、マンションを探しましょうよ……」

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 すでに安定期に入っていた昌美をミニカに乗せ、夫は自分ひとりで来たときに手付金も払ってきたというマンションの下見に連れ出した。インターチェンジが今いる家の近くなので、夫は高速を使った。次のランプが見えたとき、車は早くも出口のほうへカーブした。

 国道を走る車の窓から、右方向に神社を抱いた紅葉する丘、左方向に白亜のドームが見え、それに気をとられた昌美は名残惜しそうにしながら、次に赤十字病院、ゴルフセンター……と、目の端で捉えていた。郵便局から先はさすがにベッドタウンの呼び名にふさわしく、新しい家々が並んでいる。マンションも見える。

 昌美は思わず微笑した。その微笑した顔のまま、運転する夫のほうに顔をめぐらし、訊いた。
「それで、わたしたちのマンションはずっと遠くに?」
 夫の声がうわずる。
「あ、いや。それほどじゃないよ、すぐさ」

 川が見え出した。橋を渡ってほどなく、午後の光を浴びてひときわ輝く、シェルピンクと白を効果的に配したマンションが昌美の両眼に飛び込んできた。

「まあ、素敵なマンションね! ずいぶん、お高いことよね?」
 と我知らず、気どったような、妙な言葉遣いとなった彼女に夫は戦慄したかのようだった。

 夫は、諭すように言う。
「そりゃ高いさ。ここいらでああいうのは、分譲マンションに決まっているだろ。目ん玉が飛び出たら困るから、値段なんて俺は知りたくないね」

 昌美は、そうね、と静かな言葉を返し、そのまま分譲マンションの瀟洒な入り口に吸い込まれるように見入った。見入れるくらいに車のスピードが落ちたからで、車はそのまま三十メートルばかり先から右折し、入り込んで、とまってしまった。

 はっとして昌美が見ると、剝き出しのコンクリート塀の内側に車はとり込まれていて、白線も引いていないここはどうやら駐車場らしかった。

 夫はエンジンを切りかねているらしく、微かな振動が彼女の体に伝わり、エンジン音が聴こえている。だが、車は動きはしないので、いやおうなしに、汚れ、老朽化した四階建てのビルを見ないわけにはいかなかった。

 昌美は怯え、ふと諦めた。考えてみれば、シェルピンクと白の、ああいった御殿のようなマンションに自分たちが住めるはずもないのだと思った。それに、ここだって、なかは見かけよりはいいのかもしれなかった。

 家賃だって、これまでよりも一万五千円も高いのだが、何しろ、ビルなのだから――。

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 綺麗な街に住むのも考えものらしい、と彼女は早くも悟る。

 ゆとりのない家族を温かく迎えてくれるような、手頃な家賃のほどほどにちゃんとした賃貸マンションなどは、お金持ちの多そうなこんな街にはかえってないのだろう。学園都市と言われるぐらいだから、学生向きのワンルームマンションや下宿などは充実しているのかもしれないが。

 つまり、ここも、庶民に暮らしやすい街ではないという点では、これまで住んできたところと同じなのだ……

 夫は昌美を降ろすと、車で一旦不動産屋まで鍵を借りに行った。その間、昌美は遠慮がちに駐車場の脇に佇んでいた。

 建物の色は元々が灰色だったのか、ベージュだったのか、よくわからない。べたっとした緑色をしたドアが六つずつ。すえた臭いがした。

 戻ってきた夫と四階まで上がった。エレベーターがないのはつらかった。通路の照明器具が割れていた。

 四階からおなかをかばうようにそろそろと下りてきた彼女が疲れた身をシートに沈めるのを待ち、夫は助手席のドアを閉めてくれた。

 運転席に戻った彼は、
「契約を済ませてしまっても、構わない?」
 と、優しく訊いてくる。

 昌美は困ったように少し顔をしかめると、仕方なくうなずいた。

「うん、構わない。三部屋あるところは上等よ。でも、どの部屋も狭いし、押入れが黴臭くて、キッチン、浴室、トイレを見ると、ここが古いだけではなくて、雑なつくりだとわかるわ。小綺麗な住まいにする自信がないけれど、わたしだっていつまでも妊婦をやっているわけではないし、それにね」
 と、ちょっと憤ったようにつけ加えた。

「うまれてくる子供が大きくなれば、パートに出るつもりだし、そうしたら、また引っ越しをしたいな。あのピンクのマンションのようなのへは無理だとしても。でも、ここ、マンションなんて、嘘っぱちね。ただのアパートなんだもの」

 夫の豊は苦笑し、窓のところで温まり、柔らかくなってしまったガムを一枚、口に入れた。エンジンをかけて、
「あのピンクの分譲マンションの背後には大きな公園があって、公園の向こう側には大学附属の小学校と中学校なんかもあるんだよ」
 と、言う。

「わたしにも、ガムを一枚ちょうだい」
 と昌美は言った。

 車が橋を渡り終えたとき、彼女はシートに身を任せたまま感慨深げに言った。
「あのピンクのマンションのあたりからは、道路を挟んで斜め向かいにある、わたしたちのアパートは見えないのね」

 傷み老いたアパートは、まるで人目を忍ぶ定めを与えられたかのように、通りからは見えない、隠れたような場所にあるのだった。

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 昌美は佐賀県の農家に生まれた。

 物心つくころから、起床後の歯磨きと洗顔を済ませるとすぐに仏壇の前へ行き、ご先祖様に手を合わせた。その部屋にはご先祖様の写真がずらりと並んでいた。

 朴訥な祖父。腰の曲がった、何かに耐えているような――心が洗われるような光を宿していることもある――小さな目をした祖母。謹厳な、頼りがいのある父。農家には肉体的にも精神的にもそぐわない、感じやすい、病弱な母。合理的な思考の持ち主だが、母に似て強壮とは言いがたい兄。

 政府の減反政策で米作りが揮わなくなったので、父と兄が祖父とやり合ったすえ、家業を畜産業に転じた。実家は、子牛を購入して飼養し、肉牛として販売する肥育農家となったのだった。

 ああ牛たち!

 昌美は食品スーパーの精肉コーナーでトレーに小綺麗に収められた血色の肉片を見ると、気持ちの昂ぶりを覚えずにいられない。彼女の実家で飼われていた、茶色の毛並みをした、茶色い目の肉牛たちを連想してしまうからだ。

 彼らが出荷の目的でトラックに乗せられるときに、どんなに哀しそうな鳴き声を出すのか、彼らをどんな運命が待ち受けているのか、彼女は知っていた。

 トラックで畜産市場まで運ばれた牛は、競りにかけられた。落札された牛は屠畜場へと運ばれる。眉間にスタンガンを撃たれて失神した牛にピッシング*1が行われ、大動脈を切開されて、彼らは放血死を迎える。そして解体され、食肉に加工されるのだ。

 牛たちは実家にかなりの儲けをもたらしてくれたとはいえ、このような職業はそもそも信仰深い、清廉な家風には合わないのだった。

 儲かれば儲かるほど、実家は牛供養に熱を入れるようになり、真っ先に母が参ってしまった。長靴を履いて牛の世話をしていた母は、牛を見送るごとに目を赤くしていた。持病を悪化させた母は、診察を受けるために出かけた病院で倒れた。

 それは昌美が短大の国文科を卒業する間際のことで、三ヶ月重体が続いた母に付き添った彼女は、卒業式と就職をふいにしてしまった。昌美の献身的な介護は、三年後に母が亡くなるまで続いた。

 その後、昌美は家の者のすすめもあって、街のはずれにあるホームセンターでアルバイトをした。

 上司として彼女に朗らかに接してくれた主任の豊は、彼女のアルバイト期間が過ぎ去るのを待ち、友人感覚でデートに誘った。物知りで、好奇心に満ちていて、気持ちのいい健啖家だった(痩せの大食いとも言えた)。

 映画館や公園で、いつも何か食べながらふたりはデートをし、しめくくりに美味しい物を食べに行って別れるのが常だった。

 福岡県に豊が転勤になったのを契機としてふたりが婚約した数日後、まだ一家の大黒柱だった用心深い父が高速道路で五台の玉突き事故に遭い、九死に一生を得た。


 怪我は回復したものの、事故の後遺症で記憶に欠落や錯綜が見られるようになった。婚約者の豊を自分の息子と混同したり、妻を亡くしたのがつい一月前のことのように言ったりした。

 結婚後もちょくちょく父の様子を見に帰ってくる昌美に、兄は父の話をした。父は障害を得てからも牛のことは自分の仕事と心得ていたのだが、そのことが厄介なのだと兄は言う。

 仕事ぶりが危なっかしく、交渉事を任せたりは絶対にできないと妹に打ち明けた。兄は独身を通していて、相変わらず体は強くなかったし、祖父母も年だった。

 平成三年に、牛肉・オレンジの輸入自由化が始まったのを境に、牛市場の競争は激化するばかりだ。いつまで実家は牛でやっていけるのだろうと案じると、昌美は夜も眠れなかった。

*1:屠畜の際、牛の脚が動くのを防ぐために、失神させた牛の頭部からワイヤ状の器具を挿入して脊髄神経組織を破壊する作業。BSA対策として、EUでは2000年からピッシングを中止、日本でも中止に向けた取り組みが行われるようになった。

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 夫の実家のことでも杞憂の種があった。それは元気で独り暮らしをしている義母のことではなく、都心でサラリーマンをしている義弟のことだった。彼が相当な額の借金を背負ってしまったのだった。

 入社し立ての気の弱い義弟は上司にこき使われるままに残業をし、終電に乗り遅れてしまう。仕方なくワンルームマンションまでの長距離をタクシーで帰ったり、ホテルに泊まったりするうちに金銭が底をつき、カードローンの使用からサラ金に手を出してしまったのだった。

 有名私大を出してやった挙句のていたらくに義母は呆れ、匙を投げてしまった。夫は可愛い弟を放っておけず、昌美も同意して、借金の半分を肩代わりしてやることにした。彼らの家計が逼迫しがちだったのには、このことも原因となっていた。

 妊娠中に昌美は不思議な体験を持った。それは自分の体を共有している別の魂の存在を意識せざるをえない体験だった。

 ある日、いつものように買い物に出る前に身なりを確認するつもりで、昌美は姿見の前に立った。形式的にそうしただけで、目は鏡の中の自分を大雑把にしか見ていなかった。妊娠月齢が進むにつれて大変になっていく日常生活に埋没し、全然お洒落ではなくなってしまっていたのだった。

 そのとき、ふと彼女は、自分とは異なる別の視点、別の意識の存在を、あまりにも自分の身近に感じたように思った。身近に――というより、いっそ重なっていると言ったほうがよいくらいだったが、彼女がその意識を自分のものと混同しなかったのは、それが自分のものとは相容れない異質な明晰さを備えていたからだった。

 彼女が後に、それをおなかのなかの赤ん坊と結びつけたのは、子供の意識がくっきりとした輪郭をとり始めたときで、明晰さの質があの意識と同じだったことによった。その別の意識とは、垢ぬけていて雑多なもののない、幾何学にでも魅せられそうな意識なのだ。

 赤ん坊はおなかのなかにいて肉体的にまどろんでいる一方では、魂は肉体形成の段階にある赤ん坊にまだ完全には同化していず、赤ん坊を包み込む高級な意識として自存していたのだろうか。

 あるいは、過去世の人格が赤ん坊の新しい人格にオーバーラップしていたのだろうか。その別の意識は、地上生活でのかつての経験を働かせているように感じられた。

 そして、その別の意識は昌美に満足していず、もっと外観に気を配ればいいのに――という美意識的見地からの感想を抱いた風なのだ。思わず、彼女は顔を赤らめ、鏡の中のやつれて見える容姿に目を走らせた。

 簡単にブラッシングしただけのヘアスタイル、荒れた肌、ごてごてしたデザインで配色も悪いマタニティードレスといったものが、決して醜くはない、母親ゆずりの温雅な彼女を、あまりにも安っぽく見せていた。

 自分の肉体を共有する別の魂の存在を意識したのはそれきりだったが、このことは忘れがたい印象を残して、彼女は「うまれてくる子供は理系で、科学者になるんじゃないかしら」と秘かに思ったりした。

 このことを、神智学協会*1の会員の一人にでも話してみれば、それは神秘体験の一種だと興味を持たれ、その人は人間の七つの本質や大宇宙と小宇宙の相応、また誕生の秘密などについて話したがっただろう。

 しかし、ブラヴァツキー夫人の神智学のような神秘主義思想は、キリスト教イルミナティ*2の影響を受けたマルキシズムの信奉者などから誹謗中傷され、その風潮が日本社会に持ち込まれて拡散したことから、神秘主義思想が生真面目で用心深い彼女の関心を惹くことはなかった。

*1:神智学運動の母と言われるH・P・ブラヴァツキーが1875年にH・S・オルコットと共にニューヨークに設立した協会。

*2:1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)で出現した秘密結社。アダム・ヴァイスハウプトによって結成された。フリーメーソンの組織を侵食し、様々な革命運動に多大の影響を及ぼして、テロリズムの原理原則となった。「この組織は『私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、(原初の)黄金時代の復活』を説いた」「イルミナティの信奉者はその後、パリで急進的な政治傾向の『親友同盟』の主導権を握った。そこからイルミナティ派の『社会主義サークル』が派生する。彼らの規律は二十世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを『共産主義思想を実現するための最初の革命的組織』と評した」(植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』彩流社、2014、p.37)。

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 Z…市に引っ越してきて、住まいの周辺にもいくらか慣れ、育児用品もほぼ買い揃っていた。夫の勤めるホームセンターから購入した商品も結構あった。注文を出せば、夫が見繕って買ってきてくれ、これには助かった。

 ベビーベッドを置くと、ひと部屋がほぼ潰れた。産婦人科は何軒か見つけたものの、どれもホテルのように華美な外観で、その雰囲気はこれから一個の躍動感に溢れる生命体をうみ落とそうとする昌美の生真面目でストイックな精神とは、どこかそぐわなかった。

 いくらか遠かったが、転居前にかかりつけになっていた博多駅にほど近い公立病院で赤ん坊を出産することに決め、それで気持ちが落ち着いた。

 ただ、新興住宅地の便の悪さなのだろう、ピンクの分譲マンションの側にコンビニがあったものの、食品スーパーは遠く、総合スーパーとなると、さらに遠かった。

 転勤してきたばかりで忙しく、休日には眠ってばかりいる夫をそっとしておこうと、昌美が車で総合スーパーまでまとめ買いに出かけたところ、夫に叱られた。いつ職場から電話がかかって呼び出されるかわからないから、常に車がある状態でなければ困るのだという。

 その車は彼女が持ってきたものだったのだが。夫は結婚間際に自損事故を起こしていて、幸い怪我はなかったものの、自分の車をだめにしてしまっていたのだった。そうなると、徒歩で片道半時間以上かかる道を、大きくなったおなかでとぼとぼと歩くしかなかった。

 陣痛は食品スーパーで始まった。昌美はショッピングカートのハンドルを、とっさにきつく握り締めた。果物コーナーに並ぶ苺の赤、グレープフルーツの黄からメロンの緑へと、視線を動かす。おなかが突っ張ることはこの臨月に入ってからはよくあったので、その痛みが陣痛なのかどうかが判然とせず、休み休み家に帰った。

 痛みがさらに強まり、次に起きるまでの間隔も短くなっていったので、陣痛だろうと思いながら、痛みの合間に雑事をこなし、入院の用意を整えてから病院と夫に電話をかけた。幸い、夫が職場をぬけ出して病院まで送ってくれることになった。

 公立病院へと向かう車のなかで、昌美は言った。
「春なのに、まだ寒いな。ちゃんと、うめるかしら?」
「ちゃんとうめるさ」
「幸せにしてあげることができるかしら?」
「できるさ」
 と豊は即答し、その付和雷同めいた不用意な反応に昌美は苛立った。この世は、そんなに単純なものだろうか。

 豊が突然仮面をとり、無思慮な人としての素顔を見せたかのような感じさえ抱いた。出産を控えてどこまでもナーバスになりかねない彼女は、このときこそ宝石のように緊密な、美しい答えがほしかったのだった。

 それは必ずしも、言葉である必要はなかった。微かな気配だけでも充分だったのだ。昌美の強張った雰囲気が伝わったのか、彼は押し黙った。

 昌美は車のなかから落ちて行く夕陽を眺め、そのまま陣痛の波をかぶった。波が去ったあと、今度はやわらかな声で口をきいた。

「ねえ、魂には赤ん坊も大人もなくて、皆大人なのね」
「何のことだい?」
「何でもないわ。ね、病院に行く前にドライブスルーに寄って、ハンバーガーを買わない? わたしはダブルバーガーでもいいわ。それと、シェイクね」
 と昌美が言うと、豊は呆れたような声を出した。

「何だって? おいおい昌美、こんなときにダブルバーガーを食おうって言うの? 神聖な出産の前だというのに、あれほど批判していた男のハンバーガーをぱくつこうなんて、節操のないことだな。腹、弾けるぞ!」

 豊は、昌美こそ無思慮と思ったようだった。まるで、仕返しのように。そして、ファーストフード店の前をスピードを上げて通過してしまった。

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