倉庫のような外観の建物から、子連れの夫婦が出てくる。男の子が胸に押しつけるようにしてもっている箱の中身は、レゴのブロックだった。
初めてこのトイザらスという名の玩具のディスカウント・ストア――安売り店――に足を運んだとき、妻は、品数が異常なまでに豊富な、そしてまた、商品の提供という目的以外の事柄は全て削ぎ落としたかのような店内の様子を一瞥し、呆然となった。
彼女は広い通路をうろうろして、いつしか棚のうえに積み重ねられた箱の一つに見入ってしまっていた。アメリカ人の姿を安っぽく模ったような変にリアルな人形を見、戦慄すると共にある激しい違和感と抵抗感を覚えたのだった。
それまでの彼女の知る玩具屋が、少女時代を過ごした町中の主立ったそこへ行けば奥のほうに、精巧に丹念に製作された日本人形やフランス人形、陶器でできた人形、ガラス細工の動物、オルゴールなどをひそめていて、そこに芸術的工芸的な、豊潤な空間を開示してくれていたことに突然に気づかされないわけにはいかない。
そこで密に息づいているものたちを買わなくとも構わない、いや、買えばむしろ、玩具屋の親仁さんは奇妙な顔をしかねない。親仁さんは、この奥の院に祀ったものたちで儲けようとは端から思っていないからだ。
が、ここには庶民が買えそうな大量生産された玩具しか置かれていない。ここには奥の院なんてない、屋台の並ぶだだっ広い境内だけしかない。同じ玩具屋とはいえ、この二つの玩具屋をささえる意識には何という違いがあることだろう。が、何度かここにくるうち、そんなことは忘れてしまっていた。
あ、ドーナツ。
と子供が、初冬の日だまりに立ちどまって言った。毛先の軽い、赤みがかった髪の毛が風にふわふわと舞う。
夫は、駐車場の真ん中あたりにとめてある愛車のミニカのほうへ体を向けたまま、ちょっとうるさそうな仕草で耳の後ろを掻き、それでもつくり笑いを浮かべてみせた。
お、ドーナツか。それも、いいな、たまには。あそこへ入るか?
それを聞いて嬉しそうにしたのは、むしろ妻のほうだった。
うんうん、そうしよ! 前にきたときに貰った割引券がお財布にあるんだけれど、あれ、まだ使えるかしら。
これで彼女は、食事の支度を1回パスすることができるのだった。料理が嫌いでなくても、途切れなく毎日では気が滅入る。夫は家事を主婦の習性とでも思っているようだったが、もはや彼女はそれほど古いタイプの女ではなかった。
食事の支度を1回パスできるという、ささやかでありながら、このうえない贅沢な喜びにほのかに輝いた彼女の顔をちらりと見た夫の顔が、皮肉な――いや、むしろ酷薄な――表情を浮かべるのを妻は見逃しはしない。
それでも、今は突っかかりたい気持ちなどぐっと堪えるのだ。あまい匂いのするドーナツのいろいろ――ハニーチュロ、ココナツ、フレンチクルーラー、ブルーベリーマフィン、チョコファッション――を想い浮かべて。
こうして、どこででも見かけるような、傍目には幸福そのものに見える親子はドーナツ店に消えた……
この郊外ショッピング・センターの敷地内には、他にファースト・フード店、アイスクリーム店、雑貨店、書店、カー・ショップ、それに家電専門店があった。
一年後の昼下がりにも、玩具のディスカウント・ストアから子連れの夫婦が出てきて、ドーナツ店へ入っていく。折りしも、ドーナツ店の向かいにある家電専門店の一角に置かれていた液晶テレビが、お昼のワイドショーを映し出していた。
幼児殺害のかどで逮捕された女性容疑者の知人たちに、女性リポーターがマイクを向けていく。彼らのコメントは、買い物客たちの注意を惹かない。
容疑者がどんな人であったかと訊かれ、彼らは異口同音に答えた。
「地味な人でしたね。目立たなくて、どこにでもいそうな人でしたよ」
と――。
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