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 一心に夫の話に耳を傾けていた昌美は、日本人をハンバーガーで金髪に――のくだりで、ぞっとさせられた。

「じゃあ、玩具でもっと根本的に、日本人の子供たちの心のなかから改造するつもりなんじゃないの? どうして、日本人をアメリカ人にしてしまいたがるのかしら。その実業家は日本人なんでしょう? そんなことが何気ない消費という次元から進行しているなんて、怖いわ」

 夫は、耳をそばだてる気配を示して、言った。
「昌美が言うと、オカルトじみるよな」

 次いで、失笑しながら妻に講義してみせるのだった。
藤田田アプレゲールと呼ばれた、大正うまれの人間でね。アプレゲールというのは、戦後派を意味するフランス語らしいよ。対義語はアヴァンゲールさ。第二次大戦で古来の価値観が崩壊した後の日本に無軌道な若者たちが出現して、彼らによる犯罪が多発した。それがアプレゲール犯罪と呼ばれたんだ。伝統的な価値観や因習に囚われないアプレの中に、極端なアメリカかぶれがいたとしても、別に不思議ではないのさ。戦後の混乱期を経て、これだけの巨大な産業を興すには、一般的な感覚の持ち主にはできないことだろうよ。昌美だって、ハンバーガーが好きなくせに」

 東京オリンピックが開催された年に生まれた夫はアメリカが好きだ。マッチョなヒーローが出てくる映画がお気に入りだった。

「アプレの彼が口火を切ってくれたディスカウント・ストアの出店競争がこちらにも引火してきたらしく、トイザらスの近くに、嫌なことにはディスカウント型のホームセンターもできるんだよな。そいつはうちの店のよい対抗店になってくれるだろうよ。本音を言えば、九州が本拠地の、サービスを売り物にする従来型ホームセンターのこちとらは、パニックさ。うちはアプレの中では、伝統を守ろうとするアヴァン派ということになるな」

 妻は、彼女なりの解釈の仕方をして、口を挟んだ。そうすることで、夫の仕事に理解があることを示したかったのだった。
「アプレの中での、急進派と保守派の殴り合いということになるのね?」

 すると、夫は瞳を輝かせた。
「殴り合いだって? いや、戦争だよ。いよいよ本格的な戦国時代の到来というわけだ。社長は今年中に十店増やして、百店舗にする計画らしい。いいかい、潰すか、潰されるかなんだ、それに」
 と、彼はつけ足した。

「主任から店長代理に昇格するのはいいけれど、これで一応管理職ということになるから、これからはいくら長時間働いたところで、時間外手当はつかないってことを言っておかなくちゃ。おまけに、中小企業の哀しさで、代理になったところで、それに対する手当ときたら、スズメの涙だものなあ。手どりにして、給料は三万円くらい減ると思う」

 玩具のディスカウント・ストアの話と給料のことは新生活への期待に水を差すものだったので、昌美は膨らみかけたおなかに右手を当て、じっと考えるふうにした。

 それから、マッシュルームカットにした毛先の軽い頭髪を揺らして顔を上げると、切れ長の目でほのぼのと夫の豊を見つめ、囁いた。
「今度は、マンションを探しましょうよ……」