夫の実家のことでも杞憂の種があった。それは元気で独り暮らしをしている義母のことではなく、都心でサラリーマンをしている義弟のことだった。彼が相当な額の借金を背負ってしまったのだった。
入社し立ての気の弱い義弟は上司にこき使われるままに残業をし、終電に乗り遅れてしまう。仕方なくワンルームマンションまでの長距離をタクシーで帰ったり、ホテルに泊まったりするうちに金銭が底をつき、カードローンの使用からサラ金に手を出してしまったのだった。
有名私大を出してやった挙句のていたらくに義母は呆れ、匙を投げてしまった。夫は可愛い弟を放っておけず、昌美も同意して、借金の半分を肩代わりしてやることにした。彼らの家計が逼迫しがちだったのには、このことも原因となっていた。
妊娠中に昌美は不思議な体験を持った。それは自分の体を共有している別の魂の存在を意識せざるをえない体験だった。
ある日、いつものように買い物に出る前に身なりを確認するつもりで、昌美は姿見の前に立った。形式的にそうしただけで、目は鏡の中の自分を大雑把にしか見ていなかった。妊娠月齢が進むにつれて大変になっていく日常生活に埋没し、全然お洒落ではなくなってしまっていたのだった。
そのとき、ふと彼女は、自分とは異なる別の視点、別の意識の存在を、あまりにも自分の身近に感じたように思った。身近に――というより、いっそ重なっていると言ったほうがよいくらいだったが、彼女がその意識を自分のものと混同しなかったのは、それが自分のものとは相容れない異質な明晰さを備えていたからだった。
彼女が後に、それをおなかのなかの赤ん坊と結びつけたのは、子供の意識がくっきりとした輪郭をとり始めたときで、明晰さの質があの意識と同じだったことによった。その別の意識とは、垢ぬけていて雑多なもののない、幾何学にでも魅せられそうな意識なのだ。
赤ん坊はおなかのなかにいて肉体的にまどろんでいる一方では、魂は肉体形成の段階にある赤ん坊にまだ完全には同化していず、赤ん坊を包み込む高級な意識として自存していたのだろうか。
あるいは、過去世の人格が赤ん坊の新しい人格にオーバーラップしていたのだろうか。その別の意識は、地上生活でのかつての経験を働かせているように感じられた。
そして、その別の意識は昌美に満足していず、もっと外観に気を配ればいいのに――という美意識的見地からの感想を抱いた風なのだ。思わず、彼女は顔を赤らめ、鏡の中のやつれて見える容姿に目を走らせた。
簡単にブラッシングしただけのヘアスタイル、荒れた肌、ごてごてしたデザインで配色も悪いマタニティードレスといったものが、決して醜くはない、母親ゆずりの温雅な彼女を、あまりにも安っぽく見せていた。
自分の肉体を共有する別の魂の存在を意識したのはそれきりだったが、このことは忘れがたい印象を残して、彼女は「うまれてくる子供は理系で、科学者になるんじゃないかしら」と秘かに思ったりした。
このことを、神智学協会*1の会員の一人にでも話してみれば、それは神秘体験の一種だと興味を持たれ、その人は人間の七つの本質や大宇宙と小宇宙の相応、また誕生の秘密などについて話したがっただろう。
しかし、ブラヴァツキー夫人の神智学のような神秘主義思想は、キリスト教やイルミナティ*2の影響を受けたマルキシズムの信奉者などから誹謗中傷され、その風潮が日本社会に持ち込まれて拡散したことから、神秘主義思想が生真面目で用心深い彼女の関心を惹くことはなかった。
*1:神智学運動の母と言われるH・P・ブラヴァツキーが1875年にH・S・オルコットと共にニューヨークに設立した協会。
*2:1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)で出現した秘密結社。アダム・ヴァイスハウプトによって結成された。フリーメーソンの組織を侵食し、様々な革命運動に多大の影響を及ぼして、テロリズムの原理原則となった。「この組織は『私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、(原初の)黄金時代の復活』を説いた」「イルミナティの信奉者はその後、パリで急進的な政治傾向の『親友同盟』の主導権を握った。そこからイルミナティ派の『社会主義サークル』が派生する。彼らの規律は二十世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを『共産主義思想を実現するための最初の革命的組織』と評した」(植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』彩流社、2014、p.37)。
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