「視察旅行に行きたいんだ。ロサンゼルス、ダラス、アトランタを回る予定になっている。三月くらい先になると思う。同僚の多くが既に行ったんだよ。俺も行かなくちゃ。今の会社でこれからもやっていこうと思うなら、向こうのホームセンターを見ておくことは絶対に必要なんだ。昌美。行ってもいい?」
最後のほうはあまい囁きとなった夫の声に、昌美はむしろ酔いから覚めた人のようになって、いくらか冷ややかに口を開いた。
「それは、そうよね。日本のチェーン・ストアがアメリカのそれに右へ倣えだってことくらいは、わたしにだってわかっているわ。あなたは、行かなくちゃ。それでなくとも、アメリカが大好きなんだし、行かせてあげたくないわけがない。でも、うちは今お金が……ただで行けるわけではないんでしょう、会社から出るぶんがあるにしても」
妻の懸念を心得ているらしい夫は、アーモンドチョコを妻にすすめた。そして、昌美がチョコレートの銀紙をむくのに合わせるように、できるだけ穏やかに説得の言葉を並べた。
「小遣いを減らしてくれて構わないよ。それ以外にも倹約をする、約束するから」
昌美はその言葉に安心したらしく、彼をちらと見、優しくうなずいてみせた。豊は妻の許可を得て、嬉しそうに息を大きく吸い込むと、目を輝かせた。
「渥美俊一という日本のチェーン・ストアの理論的指導者がいてね。彼は一九六二年にチェーン・ストア経営研究団体ペガサスクラブを設立した。設立当初のペガサスクラブの主なメンバーは、ダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ジャスコの岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニーの西川俊男、イズミヤの和田満治などで、錚錚たる顔ぶれだよ。渥美はアメリカの本格的なチェーン・ストア経営システムを日本に紹介し、流通革命・流通近代化の理論的指導者となったんだ。彼は経済民主主義を唱え、流通業の役割とは経済民主主義を達成することだと言った*1」
「え、ケイザイ何ですって?」
「ケイザイミンシュシュギ。富める者も貧しい者もほしいものは手に入る社会を築こう、という精神のことをいうのさ。国民のすべてがほしいものは手に入る社会を、という意味。それには物価を下げればいいという理論なんだよ。どう、なるほどと思わせる考えかただろう? この俺は、会社の連中と共に経済民主主義を具現しようとがんばっているわけさ」
昌美は夫の言葉に感心するどころか、変な顔になった。そんな思わしくない妻の反応に、豊はさらに雄弁になるのだった。
「実は、この理論は、ドイツ・ワイマール期の社会民主党系労働組合運動の理論でね。フリッツ・ナフタリが一九二八年に『経済民主主義』と題してまとめたものなんだ*2。ところで、マス・マーチャンダイジングという流通業界の用語があるんだけれど、これが経済民主主義を達成するための手段となるものだ。うちの社長がむやみに店舗を増やし続けているように見えるのも、マス・マーチャンダイジングなのであって、標準化された店舗を200以上に増やすことでマスの特別なごりやく(経済的効果)が出るとされているからなのさ」
しばらく微妙な表情で黙っていた昌美は、考え考え言った。
「きっと、本当は複雑な内容をもつ理論なんでしょうけれど、そう簡単に言われてしまうと、何にも言えなくなるわ。わたしは経済のことも商業のことも、何もわからないんだもの。ただ、その理論が物質主義をもとにしているということだけは、わたしにもわかる。ねえ、アメリカは貧富の差が激しいんでしょう? お金による階級が厳然として存在しているということも、聞くわ。商業の領域のことは、わたしたちの生活にじかに影響してくるんじゃない? アメリカがうんだシステム――相当に昔のドイツの労働組合の理論もそうだけれど――無批判に受け容れていいのかな、と思ってしまう。そのあたりのところもよく見てきて、わたしに教えてね」
夫は、自分の妻はなかなかの学者だと微笑ましく思ったようだった。その一方、少し頭の弱い人間ほど、このように丹念で生真面目な考え方をするものだと思ったようでもあった。
彼は陽気に言う。
「何でも見てきてあげるよ。そして、土産にはビーフジャーキーを買ってこようか? むこうには、こちらのちんけなのとは違って、肉の厚い、一袋にたっぷりと入っているやつが安くてあるらしいんだ。そいつを肴に、昌美も一緒に『一番搾り』をのもうよ」
根はどちらも楽天的な夫婦は、その言葉ですっかり盛りあがってしまって、アーモンドチョコをきっかり半分ずつ食べた。それから、仲良く手をとり合い、寝に行ったのだった。
*1:ウィキペディアの執筆者. “渥美俊一”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E4%BF%8A%E4%B8%80&oldid=61114514, (参照 2016-09-11).
*2:「フリッツ・ナフタリの『経済民主主義』(1928年)は,ドイツ・ワイマル期の社会民主党系労働組合運動の理論と経験の中から生まれた。その後,ナチズムの時代には歴史の舞台から抹消されたかに見えたが,しかし第2次大戦後には,当初,旧西ドイツのモンタン産業において成立した被用者の同権的共同決定制度が,いまやドイツ資本主義の発展とともに労働者の経営参加及び超経営的参加として企業のなかに定着するとともに,ナフタリの『経済民主主義』は,労働者の同権的参加思想の源流と見なされ,この分野における「古典」(オットー・ブレンナー)としての評価が与えられてきた」(山田高生「カール・レギーンと経済民主主義の生成」成城大學經濟研究 159, 133-146, 2003-01-20 < http://ci.nii.ac.jp/naid/110004028031 > 2016/11/12アクセス)
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