マダムNの純文学小説

複数の作品を置いていますので、作品インデックスをご利用ください。

☆作品インデックス
https://litterature2023pure.liblo.jp/archives/253142.html

なお、作品のカテゴリをクリックしていただくと、昇順(古い記事が上)設定ですので、最初からお読みいただけます。

2016年10月に始めた当ブログが止まってしまっております。

実際に起きた事件に触発されて昔書いた小説があり(あくまで触発されただけで、作品は完全なフィクション)、それはワープロで感熱紙に印字した原稿しかなかったため、作品の保存のためにブログ連載後に電子書籍化する予定で連載を始めたものでした。

加筆しながら連載していたのですが、更新するのがもう何だか苦しくなってしまったのです。今のわたしには書けないと思うと、一層保存しておきたいとは思うのですが、苦しい。続けられるときに続けていこうと思います。

続けて読んでくださっていた方が数人おられたようです。まことに申し訳ありません。気長に待っていただければと思います(フツー、そんな暇ありませんよね)。


noahs-ark-883858_640
WikimediaImagesによるPixabayからの画像


 五日後、川野辺家に招かれた久保夫妻は酔っ払って自宅に戻ってきた。

 いとまを告げる前から泣き出していた友裕は、疲れと興奮のためにいつまでも泣きやまない。その声は、贅沢な空間を抱いた快適なピンクの分譲マンションからすれば、物置かと思えるような古い狭いマンションの一室に大きく響きわたるのだった。

 離乳のすすんでいないせいで、まだ果物のような匂いのする友裕の口のはたに昌美は酒臭いキッスをした。何かものわびしく、もの哀しかった。夫の豊は、風呂に入ると言いながら、毛布を引っ張り出して寝てしまっていた。

 泣きやんだ友裕を昌美は下ろそうとして、子供の布団に侵入してきている夫の酒気をおびて掌が赤らんだ大きな重い腕を、子供を抱えていないほうの手で持ちあげ、力を振り絞って向こうへ放った。

 あの嫌味な夫婦に単純に追従した夫の腕を、世界の果てまでも放ってしまいたかった。すると夫は「ん」と言って寝返りを打ち、うまい具合に向こうへ転がった。この頃にはベビーベッドは片づけ、一家は川の字になって寝ていたのだった。

 昌美がキッチンへ行きかけたとき、またもや夫が、今度は体ごと子供の布団に転がってくるのを見た。やわらかな友裕の体に彼の手がのっかる。彼女はあたかも歩兵であるかのようにすばやく駆け寄ると、その手を息子から払いのけ、ため息を一つ残してキッチンへ行った。

 昌美はタッパーウェアを洗い始めた。ポリエチレン製の容器に染みついた食物の匂いを洗い落しておきたかった。それにしても――と、彼女は思う。この中身は結局のところ、捨てられてしまったに違いない。

 昌美はこれまで、体育の授業で創作ダンスを踊っているときのフォームの美しさや球技のときの敏捷さを褒められたことがあった以外は、もっぱら料理の腕を褒められた。母から、友人から、夫の同僚からも。

 昌美が料理をすると、食材が生き返るようだった。それは彼女が野菜の形や色に感嘆したり、魚や家畜たちの無念さを感じたりすることと無関係ではなかった。盛りつけも、見るからに清潔そうで綺麗だった。

 今は洗いあがったタッパーウェアだったが、昌美は時計の針が午後七時十五分を指すのに合わせて筑前煮を詰めたのだった。酒の肴になるだろうと思いこしらえたのだったが、どんなに美しく詰めたつもりでも、手料理が他人の目に不味く不潔に見えたところで不思議ではない。

 嫌がられる可能性も考え、彼女は昼間友裕を連れてバスに乗り、花と果物を買ってきた。夫には、キリンの一番搾りを買てきてくれるように頼んだ。それらの手土産と共に、一家は約束した午後七時三十分にピンクのマンションのエントランスに立っていた。

 上にあがって挨拶だけ交わし、夫は車に載せてきた注文されたチャイルドシートの取りつけかたを皓子に教えるために、彼女と連れ立って下へ降りて行った。皓子に案内されたリビングのドアに近いところに、昌美は身の置きどころのない思いで、友裕を抱いたまま立っていた。

 皓子の夫、川野辺秀治は客の存在など気にかけていないかのようで、リビングに置かれたキャメルのレザーソファに半ば寝そべるように座り、テレビを観ながら何かアルコールを飲んでいた。チューリップのように縁がすぼまった、脚つきのグラスを手にしているところを見ると、ワインだろうか。

 秀治はのんびりと声をかけてきた。
「お子さんを、そこへ下ろしたら?」

 ソファとテレビのあいだの広い床に、このあいだ来たときはなかった、モスグリーンのラグが敷かれている。

「ええ。でも、何だか汚してしまいそう……」
「構いませんよ。たった今まで、そこで晶のやつが遊んでいたんですから」

 それは、ラグに置かれた二つの玩具を見ればわかった。一目見ただけで、それらが遠いところから直に運ばれて来た商品だとわかる。正式な一員と認められた、歴とした川野辺家の玩具なのだ。

 あとで聞かされたところでは、いずれも皓子の母親がパリから買ってきたものだという。一つは、頭と四つの輪にした胴体のパーツでできたミツバチのマスコットだった。もう一つは「ノアの箱舟」という玩具で、ぬいぐるみのノア夫婦と動物たちが箱舟の形をしたバッグとセットになっていた。

 昌美は恐る恐るラグに友裕を下ろしてみた。秀治とでは、言葉が続かない。しかし、二人のあいだでそのことを気にしているのは昌美一人のようだった。


 秀治には、妻の皓子に似た鋭さ――油断のなさ、いや、ぬけ目のなさといったほうがいいかもしれない――があり、他人を見るときの目に、どこか相手を嘲笑うような色合いがあった。それが、昌美をくつろいだ気分から遠ざけるのだった。

 育ちのよい人たちにはあまり見えない彼らには、地方から都会に移植された人間に特有の人工臭があって、都会人とはこういう種類の人々をいうのだろうか、と昌美はぼんやり考えていた。

 尤も、容貌だけとってみれば、秀治にはむしろ温和さに結びつくような特徴のほうが勝っていた。色白で、ふっくらとした顎に、ぽってりとした紅い唇。眉は夫婦揃って濃い。そろそろ中年太りの始まった体は頑丈そうで、何かスポーツをやっていそうだった。まるい目に似合わない鋭い眼光。頭のよい人々というのは、このような目をしているものなのだろうか。

「あの、晶くんは」
「ああ、眠っているんですよ」

 また会話が途切れた。

bridge-936591_640
Jorge MolinaによるPixabayからの画像

 虚をつかれた昌美は一瞬、夫がアメリカに転勤になってしまうのかと思ってしまった。すぐに、そんなはずがないと思い直した。

「視察旅行に行きたいんだ。ロサンゼルス、ダラス、アトランタを回る予定になっている。三月くらい先になると思う。同僚の多くが既に行ったんだよ。俺も行かなくちゃ。今の会社でこれからもやっていこうと思うなら、向こうのホームセンターを見ておくことは絶対に必要なんだ。昌美。行ってもいい?」

 最後のほうはあまい囁きとなった夫の声に、昌美はむしろ酔いから覚めた人のようになって、いくらか冷ややかに口を開いた。

「それは、そうよね。日本のチェーン・ストアがアメリカのそれに右へ倣えだってことくらいは、わたしにだってわかっているわ。あなたは、行かなくちゃ。それでなくとも、アメリカが大好きなんだし、行かせてあげたくないわけがない。でも、うちは今お金が……ただで行けるわけではないんでしょう、会社から出るぶんがあるにしても」

 妻の懸念を心得ているらしい夫は、アーモンドチョコを妻にすすめた。そして、昌美がチョコレートの銀紙をむくのに合わせるように、できるだけ穏やかに説得の言葉を並べた。
「小遣いを減らしてくれて構わないよ。それ以外にも倹約をする、約束するから」

 昌美はその言葉に安心したらしく、彼をちらと見、優しくうなずいてみせた。豊は妻の許可を得て、嬉しそうに息を大きく吸い込むと、目を輝かせた。

渥美俊一という日本のチェーン・ストアの理論的指導者がいてね。彼は一九六二年にチェーン・ストア経営研究団体ペガサスクラブを設立した。設立当初のペガサスクラブの主なメンバーは、ダイエー中内功、イトーヨーカ堂伊藤雅俊ジャスコ岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニー西川俊男イズミヤの和田満治などで、錚錚たる顔ぶれだよ。渥美はアメリカの本格的なチェーン・ストア経営システムを日本に紹介し、流通革命・流通近代化の理論的指導者となったんだ。彼は経済民主主義を唱え、流通業の役割とは経済民主主義を達成することだと言った*1

「え、ケイザイ何ですって?」
「ケイザイミンシュシュギ。富める者も貧しい者もほしいものは手に入る社会を築こう、という精神のことをいうのさ。国民のすべてがほしいものは手に入る社会を、という意味。それには物価を下げればいいという理論なんだよ。どう、なるほどと思わせる考えかただろう? この俺は、会社の連中と共に経済民主主義を具現しようとがんばっているわけさ」

 昌美は夫の言葉に感心するどころか、変な顔になった。そんな思わしくない妻の反応に、豊はさらに雄弁になるのだった。

「実は、この理論は、ドイツ・ワイマール期の社会民主党労働組合運動の理論でね。フリッツ・ナフタリが一九二八年に『経済民主主義』と題してまとめたものなんだ*2。ところで、マス・マーチャンダイジングという流通業界の用語があるんだけれど、これが経済民主主義を達成するための手段となるものだ。うちの社長がむやみに店舗を増やし続けているように見えるのも、マス・マーチャンダイジングなのであって、標準化された店舗を200以上に増やすことでマスの特別なごりやく(経済的効果)が出るとされているからなのさ」

 しばらく微妙な表情で黙っていた昌美は、考え考え言った。

「きっと、本当は複雑な内容をもつ理論なんでしょうけれど、そう簡単に言われてしまうと、何にも言えなくなるわ。わたしは経済のことも商業のことも、何もわからないんだもの。ただ、その理論が物質主義をもとにしているということだけは、わたしにもわかる。ねえ、アメリカは貧富の差が激しいんでしょう? お金による階級が厳然として存在しているということも、聞くわ。商業の領域のことは、わたしたちの生活にじかに影響してくるんじゃない? アメリカがうんだシステム――相当に昔のドイツの労働組合の理論もそうだけれど――無批判に受け容れていいのかな、と思ってしまう。そのあたりのところもよく見てきて、わたしに教えてね」

 夫は、自分の妻はなかなかの学者だと微笑ましく思ったようだった。その一方、少し頭の弱い人間ほど、このように丹念で生真面目な考え方をするものだと思ったようでもあった。

 彼は陽気に言う。
「何でも見てきてあげるよ。そして、土産にはビーフジャーキーを買ってこようか? むこうには、こちらのちんけなのとは違って、肉の厚い、一袋にたっぷりと入っているやつが安くてあるらしいんだ。そいつを肴に、昌美も一緒に『一番搾り』をのもうよ」

 根はどちらも楽天的な夫婦は、その言葉ですっかり盛りあがってしまって、アーモンドチョコをきっかり半分ずつ食べた。それから、仲良く手をとり合い、寝に行ったのだった。 

*1:ウィキペディアの執筆者. “渥美俊一”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E4%BF%8A%E4%B8%80&oldid=61114514, (参照 2016-09-11).

*2:「フリッツ・ナフタリの『経済民主主義』(1928年)は,ドイツ・ワイマル期の社会民主党労働組合運動の理論と経験の中から生まれた。その後,ナチズムの時代には歴史の舞台から抹消されたかに見えたが,しかし第2次大戦後には,当初,旧西ドイツのモンタン産業において成立した被用者の同権的共同決定制度が,いまやドイツ資本主義の発展とともに労働者の経営参加及び超経営的参加として企業のなかに定着するとともに,ナフタリの『経済民主主義』は,労働者の同権的参加思想の源流と見なされ,この分野における「古典」(オットー・ブレンナー)としての評価が与えられてきた」(山田高生「カール・レギーンと経済民主主義の生成」成城大學經濟研究 159, 133-146, 2003-01-20 < http://ci.nii.ac.jp/naid/110004028031 > 2016/11/12アクセス)

このページのトップヘ